2018年04月29日

5/2 O-NEST

明後日になりました。

<見汐麻衣 ”うそつきミシオ” TOUR2018 東京編>

5月2日(水) @渋谷TSUTAYA O-nest

open18:00/start19:00

adv3,000/door3,500(+1D)

・見汐麻衣
 BAND SET
 【見汐麻衣(Vo,G)坂口光央(Key,syn)池部幸太(B) 光永渉(Dr)潮田雄一(G)野田薫(Cho)】

・Taiko Super Kicks

・ハト
 【mmm(Ba.Vo) 高橋洋成(Dr) 柱谷(Gu)】
サポートメンバー:
山本紗織(フルート)&會田純那(オーボエ)&大久保淳也(サックス/シンセ)


チケット予約
・ぴあ:Pコード【110-031】 ・ローソン:Lコード【75950】

・e+購入ページURL(パソコン/スマートフォン/携帯共通)
   http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002252945P0030001

・オフィシャルHP:info@mishiomai.com(日程/お名前/枚数を明記のうえ送信下さい。)




◾️去年11月にソロ1st Albumを発売して、今年1月からソロ・デュオ・トリオ・そしてバンドセットという形態でツアーを行ってきました。
富山、金沢、北海道、仙台、福岡、広島、名古屋、大阪。久しぶりの旅でしたが、今までと違うのは自分が歌う、演奏するということに対して「今日が最後になってもいいや」と思いながら毎晩演奏していたことでした。
どうしてそういう事を思うようになったのか、当初はネガティブな理由が多くあったのですが、そう思うようになってから毎晩のライブを終えた後「あぁ、楽しかったなぁ」という気持ちより、「今日も歌えて本当によかったなぁ」と思うこと、それから「この曲をお客さんが聴いてくれて本当に嬉しいなぁ」という気持ちが昔より自然に湧くようになりまして、それはひとえにお客様、聴衆に対しての自分の意識の変化なのだと気づくのですが、お客様の数ではなく、音楽を、演奏を、歌を聴きにきてくれた方々ひとりひとりの心持ちが演奏をすすめていくにつれステージにも伝わるものだと痛感する夜がツアーの中でいくつもあり、そう感じるようになってから「あぁ、もう今日が最後になっても全然、いいや」と思う気持ちは同じなのですが、その理由がとてもポジティブな理由に変わっていました。

試行錯誤して、時間をかけて、考え抜いて出来上がったアルバムだとしても、結局、聴いてもらえなければその曲達はすん止まり、泳ぎまわることもできないと、完成した時から成長していかないのだなと思えば思うほど、親心が疼くといいますか、「聴いてほしい」という欲ですね、欲が湧くようになっています。それはカバー曲を歌わせて頂く時も同じ気持ちです。

5/2は前回の大阪以来、都内では久しぶりのバンドセットです。
やはりバンドはいい。バンドメンバーの演奏に負けてられないと思う気持ちが沸々と湧く程、バンドセット今とてもいい感じです。
この日がツアー最終日となります。続けていれば全ては過程。その一夜を是非皆様に観てほしいです。
共演のハト、Taiko Super Kicks、三者三様の夜でございます。
4/21に発売した7インチも販売します。

心よりお待ちしております!


5・2.JPG見汐ソロ7インチ_A面.jpg
posted by 見汐麻衣 at 20:22| Comment(0) | LIVE情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月28日

あれこれ見つけるんじゃなく純粋に感じてみてもいいと思う。

「anone」全話終わってしまった。寂しい。
他人と他人が心をかよわせていく過程を、
この世で暮らすみんながきっとそうであるように、日々は劇的に変わるわけではなく平等に与えられた果てしない「時間」を共有する中で深く広く浸透していく関係性が生まれ続いていき、築きながら人間同士の「心の機微」というものは大きく変化するのだということも、目に見えないまま進化したり崩壊したりすることもあるし、また、そこに愛というものが生まれ、その不確かな愛というものさえ「確かに在る」と感じる瞬間が訪れるとすればその根拠はなんなのか、それは何処に点在するのか、またどの瞬間に顔を出すのか。
10話という時間を費やしこんなにも丁寧に見せてくれたドラマ(しかも民放で)、昨今なかったと思います。
わたくしは毎回感嘆しながら観ておりました。
wowwowだけじゃない!民放!いや、日テレありがとう。イチ視聴者として毎週テレビの前でうーむと唸り、涙を拭き、テレビに向かって独り言を放ち、一喜一憂させてくれた、いい作品でした。

よく思うのですが、連続ドラマは3ヶ月ではなく6ヶ月くらいあるといいのになと思うことがあります。作品にもよりますが。「北の国から」が連続ドラマとして24話あったように、今ではそんなに時間とお金をかけれないものだとしても、今そういうものがあればいいなと「anone」を観終わった後に思っていました。

スパンスパンと物事が進み、解決されるものではないドラマもあっていいと思う。最初から全てに意味や伏線があると思わなくてもいいじゃないかと。「考えるな、感じろ」と、ブルースリーも言ってたよ。まず感じないと、考えるところまで及ばないこともあるんじゃないかなぁと。
「北の国から」のイカダ大会の回なんて最高じゃなかったですか?あんな、ずっと手作りイカダに乗って川を下るだけの回。最高ですよ。
話が逸れましたが、10話しかない中で、これだけ丁寧に心の機微と出演者みなの人生の光と影、少しずつそれぞれがそれぞれに影響を与え、変化していく様を観れて、最終回を観終わった後、坂元裕二さんが「今」こういう脚本を何故書いたのだろうか?ということを考えています。
時間がゆっくり流れるドラマ、展開の遅さ、隣町か隣の駅か、実際にこういう暮らしをしている人がいそうな内容。当たり前すぎて、ドラマにもならないドラマ。
リアルが故にドラマ越し、自分の生活や人間関係が平穏で当たり前でそれがいかにドラマチックなものなのかということをですね、思います。
posted by 見汐麻衣 at 12:33| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

雑記。

井の頭線、推定二十代後半女子二人のうちひとりが相手の女性に
「はぁ....最悪だわ。今日は最悪だわーーーーーー!!!
だいたいさ、本当のことなんて、インターネットに書いてあるわけねぇだろ。書いてあること読んでみて、自分で真実を見つけることができるかだわ。つーか、そんなもん見てるとどんどんバカになるぞ!おい!現実みろ!現実の方が遥かに面白いし、ままならねぇだろ!今日だってあの男、ツイッターじゃあんな、俺、博識!みたいなこと言ってたけど会ってみたら雑魚じゃん。クソだクソ!」
と、言っていた。
言われた方の女性は「えぇ....でもインターネットすごくね?今日の合コンもネットのおかげだし....」と言っておりそれに対し「だーかーらー、それがクソ!金と時間の無駄。これでわかったでしょ?今日のは勉強代だ。」と言っていて、どういう経緯かは知らないが友人に説教垂れている女性に私は心で深く、
ふかーーーーーーーーーーーーーく頷いて最寄駅で降りました。
あの二人に幸あれ。

posted by 見汐麻衣 at 00:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

おしくらまんじゅう。

朝起きたら喉に違和感。
熱はないが気管支炎のような症状。翌日、夜にライブがあった為すぐに病院へ。いつもの薬を処方してもらうには診察を受けなければならない。
診察時間は朝9時からだったので10分前に病院へ行くも既に7人程の人が並んでいた。
診察券を渡し、待合室のソファへ腰掛ける。縦長の狭い待合室には5,6人掛けのソファと2人掛けの椅子。
7,8人もいればギュウギュウなのだが、皆立っているものしんどい故、我先にとソファに腰掛ける。かくゆう私もその一人。5,6人掛けのソファに座り、持参した文庫本を読みながら診察を待つ。その間にも患者さんは増えていく。後からきた患者さんは具合もよくないのだろう、「すいません」と言いながらも強引にお尻を入れ、狭いソファに隙間をつくりそこにねじ込むように座ってくる。徐々にソファの端の方へと追いやられていくことに苛立ちを憶えた瞬間、また「すいません」と言う声が聞こえ私はソファから追い遣られる形となった。こういう厚かましさを持った人が長生きするのだろうと心底思う。嫌味のひとつでも言いたくなるのを堪え待合室の隅へいそいそと移動し、定員オーバーのままひしめき合っているソファを眺めていたら、おしくらまんじゅうを思い出した。

小学校低学年の頃流行っていた。
数人で背中を合わせ円陣を組み、「♪おしくらまんじゅう押されてなくな〜」と歌いながらお尻や身体をぶつけ合う。冬の寒い時期、昼休みの教室でよくやっていた。友人の中で一番身長の低かったSちゃんはいつもドーンと飛ばされて転倒し、ケタケタ笑っていた。何度もやるうちに体の温度が上がっていくのを感じ、昼休みが終わる頃には寒さも幾分か忘れる程だった。
ただ、私はこの遊びが好きではなかった。突き飛ばされてケタケタと笑うSちゃんを見ると「毎回なんで笑っていられるのか」と、苛立ちを感じ、「飛ばされないようにしなよ」と、怒り気味で言ったりもした。
「弾き飛ばされる」ということに極端に恐れを持っていた。椅子取りゲームも同じ理由で嫌いだった。
下校の時間、Sちゃんと二人きりの日があった。思っていたことをなんとなく口にしていた。「おしくらまんじゅう、本当はやりたくない、私は好きじゃない。」「だったらやらなければいいじゃない。」意外な返答だった。
「え?」という私に「私も好きじゃないよー。でも私があそこで毎回突き飛ばされたらみんな笑って終わるでしょ。私の役目でしょ。」
Sちゃんは早く終わらせる為にその役目をかって出ていたというのだ。「麻衣ちゃんは、やりたくないならやらなくていいようにすればいいじゃない。私は好きじゃないけどみんながやるならやるよ。でも、ずっとは嫌だから転んで終わり。でしょ?」
衝撃だった。確かにそうだ。翌日から私は「おしくらまんじゅう♪」って私が歌う役やるから、そうすればみんなゲームに集中できるでしょと、なんとも強引な参加の仕方を提案し、皆もそれでいいと言ってくれ私は歌担当、相変わらずSちゃんは飛ばされていた。
自分の役目を自分で捉えることを、Sちゃんは本能でやっていたのか、考えてやっていたのかわからないけれど私の記憶には鮮明に残っている。

待合室のソファにギュウギュウになりながら座るくらいなら、少しばかり本調子でなくとも私は立ったまま待つ方がいい。「すいません」と隙間に尻をねじ込める精神があればいいがそれはできない。
弾き飛ばされるのが怖いのなら、最初から円陣を組まなければいいし、その輪に入らなければいいいだけのことだと、私はおしくらまんじゅうという遊びと、Sちゃんから教わった。
ただ、その選択はとても険しいものなのだと大人になって痛感もするのだが。



posted by 見汐麻衣 at 21:17| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする