2017年06月06日

寿司日記

絵画などに全くと言っていいほど詳しくないが、
エドガードガが好きだ。
コーネリアスの「あなたがいるなら」
を聴いていて(その時の自分の具合もあるのだろうが)ドガの絵を好きと思うのと
同じ種類の好意が生まれずっと聴いている。
(「あなたがいるなら」が)どこかドガっぽいと思ったということなのですが、
そういった理由でひとつの曲をずっと聴くというのは初めてで、何故なのかと考えていましたが、
アルバムを聴いてからにしようと思うも、おまえそんな暇ないんじゃないのかと自分を責めておしまいというだけの日記。





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2017年05月22日

紙と鉛筆、時々インク。

今週末、2本の演奏あります。

5月25日(木)@高円寺円盤
「うたう見汐麻衣」
START20:00 Charge¥1,500(1drink付き)
出演:見汐麻衣(歌)野田薫(ピアノ)

2回目の夜は「平岡精二の楽曲をうたう」です。数曲やります。

詳しくはこちらを読んでいただけたら嬉しいです。→うたう見汐麻衣


5月28日(日)@八丁堀七針
「mai mishio presents うたのしおり7」
開場18:00/開演18:30 予約2,500/当日3000
ACT
見汐麻衣
GUEST ACT
百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)

ご予約は八丁堀七針までお願いします!yy@ftftftf.com (日程/お名前/枚数を明記の上ご送信ください)





■暑くなってきて、用事がない日はますます家から出ない日が続く。
また本ばかり読んでいる。あとは歌詞を書いている。
鉛筆を削って、紙に書く。何もできなくてもとにかく書く。書いて考えて、考えて書いてこれが何になるのかと一瞬嫌になってバカみたいだなと思って書く。誰かに期待されたいと思い書く。誰にも期待されなくてもいいやと思い書く。鉛筆で、左の手の側面が真っ黒になった時の心地よさ。その匂いを嗅ぐために書く。目的なんてなくっても書く。パンチラインが欲しいと書く。時々、人の歌詞や文章を模写して書く。そういう時はインクで書く。
インクで書くのと、鉛筆で書くのと、全然違う。一行でもいいから書くというのは大切だとこの頃は特に思う。

posted by 見汐麻衣 at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | LIVE情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

うたう見汐麻衣。

本日、第一回目。

3月30日(木) @高円寺円盤
20:00 \1,500(1drinK付)
「うたう見汐麻衣」
見汐麻衣(歌) 野田薫(pf)



去年の11月、円盤の田口さんに「やってみないか?」と言われ、暫く考えた結果、始めることにしました。
円盤勤務時、田口さんとはよく「歌」について「歌うこと」について色んな話をしていました。
いや、話をしていたというより、私のうだつの上がらなさを延々聞いてもらっていたという方が正しいです。

少し、長くなりますがお付き合いください。

 1980年代のこと。家庭の事情により、小学校4年生までは父方の実家に預けられ暮らしていました。
父の母(私にとっておばあちゃん)はまぁとにかく歌が好きで、老人会で行われる旅行に毎回同行していた私は、おばあちゃんに教えてもらう歌、テレビで流れる流行歌を憶えては老人会で歌っていました。
それには理由がありました。どうしても欲しい玩具があり、買って欲しいとおじいちゃんにお願いしたところ
「欲しい玩具があるのなら、買ってとお願いする前に、自分でどうにかして手に入れることを考えてみろ」と、おじいちゃんに言われたのがきっかけでした。
おじいちゃんは戦中、戦後とても苦労をして、戦争というものがどれだけ大変なことだったか、どんなことがあったのかを毎日の食事の前にしてくるような人でした。「飯粒を残すな」「ゲーム機なんかなくとも外に出れば遊べる道具はいくらでもある」「お金を使うことばかり考えるな」当時の私からするとうんざりする、五月蝿い人だったのも否めません。

 貧乏というわけでは決してなかったのですが、本当に欲しいものなら、自分のお金(お小遣いを貯めることもそう)で、どうにかしてみなさい。というようなことだったと思います。しかし、まだ4歳そこらの子供だったわけでして、稼ぐとということがどういうことか、全くわかりませんでした。
そこでおばあちゃんの提案が「老人会の中で歌を歌って、おひねりをもらえたら、そのお金でおもちゃを買えるのではないか?」ということでした。満州にいた頃、裁縫の先生をしていたというおばあちゃんは立派な浴衣を何枚もこしらえてくれ、それを着て、歌を唄うと、ちり紙(ティッシュではなくちり紙でした)に包まれたお金がステージに向かってたくさん飛んできました。些細な額ですが、欲しいお菓子やちょっとした玩具を買うには事足りる金額でした。その時私は「歌うことでお金になるのだな(欲しい物が自分で買えるのだ)」と本当に、単純にそう思い、それからも老人会でよく歌っていました。そのうち、歌を聴いているおじいちゃん、おばあちゃん達の表情が気になるようになりました。例えば並木路子の「リンゴの唄」を歌うとみんながどこからともなく手拍子を始め、泣いている人などもいました。私はとても不思議な気持ちになりました。笠置シヅ子を唄えば踊る人もいましたし、ぼんやり宙を仰ぎ見るような人もいました。「流行歌」「歌」そのものにみんなが特別な思い出や物語を持っている気がしました。
5,6歳だった私はこの時「歌はすごいな」と、心から思ったのを憶えています。
大人になり私の中に、歌っている人が誰かは正直どうでもいい、その歌を唄いきる歌い手がいて、その歌、そのものを聴きたい、聴かせてくれと思う気持ちがあるのは、この時の経験が大きいのかもしれません。

 小学校4年生になり、母と暮らすようになりました。
母は兄と私を育てていくために、夜は飲み屋を経営していました。
母と居たかった私は、週末ごとに母の店に行くようになりました。
ここでもお客さんの望む歌を歌えばおひねりがもらえました。
貰えるおひねりが増える度、どういう歌を歌えばお客さんが喜んでくれるのか考えるようになりました。やはりここでも「歌」そのものを聴いている大人達が涙したり、笑って手拍子したり、子供の自分が歌っても(子供だったからもあるでしょうが)みんな歌を聴いて楽しそうにしているその時間がとても好きでした。ある日、一人のお客さんに「いつも聴きたい歌を唄ってくれてありがとね。おいちゃん、来週からも頑張るよ」と言われたことがありました。この人は母の店の常連客の中で唯一、堅気ではない人で、ひとり静かに私の唄う歌を真面目に聴いていました。今思うと、色んな職種の大人がいたのだと思うのですが、ここでは改めて「いろんな人の時間をその人の”ある時”に戻してしまう、歌の持つ凄さってなんだろうか?」と思った記憶があります。

「歌えばお金になる、欲しい物は自分で買うことができる。」
これはもう、私の中で確かなものになっていました。
ただ、それもバブルが終わるまでの出来事でした。歌わせて貰える場所があって、歌えていただけであり、
歌を聞くことを目的としてその場所にきた人達ではなかったわけです。
中学生になり、色んな音楽を自発的に聴くようになり、自意識が芽生え、楽器を練習し、単純に「歌うこと」の楽しさが消えていき、バンドを組んでは試行錯誤し、若い人なら必ず通るであろう「大人はわかってくれない」時期を悶々と過ごし、歌をバカにしている時もありました。あんなのかっこ悪い。自分で作ってもないくせに。などと思う時もありました。無知の塊。そして大人になりようやくわかりました。
「ただ歌うことはお金にならない。歌を稼業にするなんていうことはとても大変なことだ。なんということでしょうか。」
これは、もう少し長い説明を要することなのですが、ここでは省きます。

30代、縁あって、高円寺円盤で時々店番をするようになりました。
上記の話を田口さんに聞いてもらい、色んな話をするうちに、もう一度歌を唄ってみたいと思うようになりました。「いやいや、唄ってるじゃない」と言われたらそうです。バンドも継続していますし、歌を唄っています。
ここで私の言う「歌を唄う」と言うのは、「唄う人が誰かなどというのはどうでもいい。歌そのものを唄うことができるのだろうか?」ということです。

昔は良かったなどという気持ちは全くありません。戦後ジャズやブギー、歌謡曲、色んな時代の全盛期、そういう風になるべくしてなったことというものがあると思いますし、今は今、とてもいい曲だって歌だって、聴いていればたくさんあります。
ただ、私は人様が作ったスンバラシイ曲がこの世には数え切れないくらいあって、その曲たちを今唄っていきたい。ただ、そう考えるだけです。同じ時代を生きている老若男女でも、それぞれにその人達の全盛期、青春、鮮烈な時間というのは異なるわけで、そこには必ずその時どきで「歌」がひっついているように思えます。
歌自体が持つ凄みのようなものは一体なんなのでしょうか。それは聴いてくれる人達が作り上げる幻想のようなものなのでしょうか。

自分にどういうことができるのか全くわかりませんし、ただ唄うということの難しさと楽しさはたくさん感じてきました。

と、いうわけでとても長くなりましたが、
これから高円寺円盤にて、各月(5.7.9.11月)最終木曜日「うたう見汐麻衣」を行います。次回はどういう内容になるのか全くわかりません。このシリーズでは「唄うこと」をやっていきます。
こんなに書いていて、なんですが、来てくださるお客さんにはただ、楽しんでもらえればそれだけが本望です。
何にも難しいことをするわけではありません。

お時間あれば是非、ご来場お待ちしております!
posted by 見汐麻衣 at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | LIVE情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月16日

似て非なるもの。

■TBSドラマ『カルテット』を毎週楽しみに観ている。
開始時間が近くなると、テレビの前に座って放映を待つ。録画ではなくそうまでして楽しみに待つなんて、大人になってからはないに等しいのだが、過去にもそういったドラマがいくつかあり、そのドラマ全ての脚本が坂元裕二という男性の手によるものだと気づいたのは『最高の離婚』からだった。
ぶっきらぼうな言い方をすると、向田邦子氏のドラマや小説を観たり読んだりした時に感じるもの。
「人々が生きていく為に塵と分別し、処分し、見送ってきたはずの日々悲喜交々の中にある、乱暴に扱うことはできないが大切にしすぎることでもないものごとに狙いをつけ、味付けを加え、劇的に差し出してくる。」
を、坂元氏の作る物語の中に感じる。
役者が口にする会話の言葉が文語っぽく、自分でも実際気になったセリフを口にしてみるとやはり口語としては普段の暮らしの中では言わないなと思ってしまい、少し違和感を感じるのだが、会話の派生の仕方や成り立ち方が妙にリアルなので、違和感もすぐに消えてしまう。
心で一人噛みしめる思い、寝る前に綴る日記か、こういったブログもそうなのかもしれないが、みなが口にせずとも想い、口にせずとも放つことで保たれている自身の営みに近しいものが放映時間(ドラマという別の日常)の中にぎゅーっと凝縮されており、観ているこちらも毎回「みぞみぞ」させられるのかと。毎週観終わるたびに感嘆のため息がでる。


■電車の中での居眠りほど気持ちの良いものはない。
夕方、空いた車両の座席でうとうとしていたら、目の前に立って会話をする女性二人。
小声で会話をしているのだがその響きが心地よく居眠りを助長してくる。居眠りで下車駅を逃すのは御免なので、眠ってしまわないようにと、会話の内容に耳を立てるが小声すぎて何を話しているのかは全くわからない。が、しばらくして「だからあなたは駄目なのよ」と言う言葉がしっかり聞こえた。その言葉がきっかけとなりさっきまで小声で話していた二人はどんどんヒートアップし「じゃあ言わせてもらうけどさ!」だの「〇〇はそうやって人の嫌な部分を!」だの、さっきまでとは打って変わり、威勢のいい罵詈雑言が飛び交う。私は笑ってしまったのだが幸いマスクをしていたので目は笑わないよう気を使うので必死だった。
「〇〇がそうやって、なんでも許してきてあげたと思っていることほど、□□は〇〇に許されたなんて思ってないし、その逆であんたを憎いと思ってもそれ言わずに付き合ってるんじゃないよ!□□の方がよっぽど優しいわ!あんたの優しさは自己満足よ!〇〇のは誰も救わない優しさよ!」

この二人がその後どうなったのかわかりませんが、そそくさと最寄り駅で降りた後、
「誰も救わない優しさ」なんてあるのだろうかと考えながらしばらくホームでぼんやり過ごす。
いや、そもそも優しさが人を救うことなんてあるのかと考えながらふと、永六輔氏の『無名人名語録』を思い出し、どんな人でも会話の中でハッとするようなことを言っているときがあると思う。思い出した後にドラマ『カルテット』の中でのセリフ「人生には、みっつの坂があるそうです。上り坂、下り坂、まさか。」というのを思い出し口にしたら不覚にも「ふふ…」と笑ってしまう。

名言、名文句、名セリフ。
全て日常から生まれるものですが、その日常全てが似て非なるもの。
わたくしの明日は、浅草でライブでございます。
きてね。
posted by 見汐麻衣 at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする