2018年03月28日

あれこれ見つけるんじゃなく純粋に感じてみてもいいと思う。

「anone」全話終わってしまった。寂しい。
他人と他人が心をかよわせていく過程を、
この世で暮らすみんながきっとそうであるように、日々は劇的に変わるわけではなく平等に与えられた果てしない「時間」を共有する中で深く広く浸透していく関係性が生まれ続いていき、築きながら人間同士の「心の機微」というものは大きく変化するのだということも、目に見えないまま進化したり崩壊したりすることもあるし、また、そこに愛というものが生まれ、その不確かな愛というものさえ「確かに在る」と感じる瞬間が訪れるとすればその根拠はなんなのか、それは何処に点在するのか、またどの瞬間に顔を出すのか。
10話という時間を費やしこんなにも丁寧に見せてくれたドラマ(しかも民放で)、昨今なかったと思います。
わたくしは毎回感嘆しながら観ておりました。
wowwowだけじゃない!民放!いや、日テレありがとう。イチ視聴者として毎週テレビの前でうーむと唸り、涙を拭き、テレビに向かって独り言を放ち、一喜一憂させてくれた、いい作品でした。

よく思うのですが、連続ドラマは3ヶ月ではなく6ヶ月くらいあるといいのになと思うことがあります。作品にもよりますが。「北の国から」が連続ドラマとして24話あったように、今ではそんなに時間とお金をかけれないものだとしても、今そういうものがあればいいなと「anone」を観終わった後に思っていました。

スパンスパンと物事が進み、解決されるものではないドラマもあっていいと思う。最初から全てに意味や伏線があると思わなくてもいいじゃないかと。「考えるな、感じろ」と、ブルースリーも言ってたよ。まず感じないと、考えるところまで及ばないこともあるんじゃないかなぁと。
「北の国から」のイカダ大会の回なんて最高じゃなかったですか?あんな、ずっと手作りイカダに乗って川を下るだけの回。最高ですよ。
話が逸れましたが、10話しかない中で、これだけ丁寧に心の機微と出演者みなの人生の光と影、少しずつそれぞれがそれぞれに影響を与え、変化していく様を観れて、最終回を観終わった後、坂元裕二さんが「今」こういう脚本を何故書いたのだろうか?ということを考えています。
時間がゆっくり流れるドラマ、展開の遅さ、隣町か隣の駅か、実際にこういう暮らしをしている人がいそうな内容。当たり前すぎて、ドラマにもならないドラマ。
リアルが故にドラマ越し、自分の生活や人間関係が平穏で当たり前でそれがいかにドラマチックなものなのかということをですね、思います。
posted by 見汐麻衣 at 12:33| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

雑記。

井の頭線、推定二十代後半女子二人のうちひとりが相手の女性に
「はぁ....最悪だわ。今日は最悪だわーーーーーー!!!
だいたいさ、本当のことなんて、インターネットに書いてあるわけねぇだろ。書いてあること読んでみて、自分で真実を見つけることができるかだわ。つーか、そんなもん見てるとどんどんバカになるぞ!おい!現実みろ!現実の方が遥かに面白いし、ままならねぇだろ!今日だってあの男、ツイッターじゃあんな、俺、博識!みたいなこと言ってたけど会ってみたら雑魚じゃん。クソだクソ!」
と、言っていた。
言われた方の女性は「えぇ....でもインターネットすごくね?今日の合コンもネットのおかげだし....」と言っておりそれに対し「だーかーらー、それがクソ!金と時間の無駄。これでわかったでしょ?今日のは勉強代だ。」と言っていて、どういう経緯かは知らないが友人に説教垂れている女性に私は心で深く、
ふかーーーーーーーーーーーーーく頷いて最寄駅で降りました。
あの二人に幸あれ。

posted by 見汐麻衣 at 00:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

おしくらまんじゅう。

朝起きたら喉に違和感。
熱はないが気管支炎のような症状。翌日、夜にライブがあった為すぐに病院へ。いつもの薬を処方してもらうには診察を受けなければならない。
診察時間は朝9時からだったので10分前に病院へ行くも既に7人程の人が並んでいた。
診察券を渡し、待合室のソファへ腰掛ける。縦長の狭い待合室には5,6人掛けのソファと2人掛けの椅子。
7,8人もいればギュウギュウなのだが、皆立っているものしんどい故、我先にとソファに腰掛ける。かくゆう私もその一人。5,6人掛けのソファに座り、持参した文庫本を読みながら診察を待つ。その間にも患者さんは増えていく。後からきた患者さんは具合もよくないのだろう、「すいません」と言いながらも強引にお尻を入れ、狭いソファに隙間をつくりそこにねじ込むように座ってくる。徐々にソファの端の方へと追いやられていくことに苛立ちを憶えた瞬間、また「すいません」と言う声が聞こえ私はソファから追い遣られる形となった。こういう厚かましさを持った人が長生きするのだろうと心底思う。嫌味のひとつでも言いたくなるのを堪え待合室の隅へいそいそと移動し、定員オーバーのままひしめき合っているソファを眺めていたら、おしくらまんじゅうを思い出した。

小学校低学年の頃流行っていた。
数人で背中を合わせ円陣を組み、「♪おしくらまんじゅう押されてなくな〜」と歌いながらお尻や身体をぶつけ合う。冬の寒い時期、昼休みの教室でよくやっていた。友人の中で一番身長の低かったSちゃんはいつもドーンと飛ばされて転倒し、ケタケタ笑っていた。何度もやるうちに体の温度が上がっていくのを感じ、昼休みが終わる頃には寒さも幾分か忘れる程だった。
ただ、私はこの遊びが好きではなかった。突き飛ばされてケタケタと笑うSちゃんを見ると「毎回なんで笑っていられるのか」と、苛立ちを感じ、「飛ばされないようにしなよ」と、怒り気味で言ったりもした。
「弾き飛ばされる」ということに極端に恐れを持っていた。椅子取りゲームも同じ理由で嫌いだった。
下校の時間、Sちゃんと二人きりの日があった。思っていたことをなんとなく口にしていた。「おしくらまんじゅう、本当はやりたくない、私は好きじゃない。」「だったらやらなければいいじゃない。」意外な返答だった。
「え?」という私に「私も好きじゃないよー。でも私があそこで毎回突き飛ばされたらみんな笑って終わるでしょ。私の役目でしょ。」
Sちゃんは早く終わらせる為にその役目をかって出ていたというのだ。「麻衣ちゃんは、やりたくないならやらなくていいようにすればいいじゃない。私は好きじゃないけどみんながやるならやるよ。でも、ずっとは嫌だから転んで終わり。でしょ?」
衝撃だった。確かにそうだ。翌日から私は「おしくらまんじゅう♪」って私が歌う役やるから、そうすればみんなゲームに集中できるでしょと、なんとも強引な参加の仕方を提案し、皆もそれでいいと言ってくれ私は歌担当、相変わらずSちゃんは飛ばされていた。
自分の役目を自分で捉えることを、Sちゃんは本能でやっていたのか、考えてやっていたのかわからないけれど私の記憶には鮮明に残っている。

待合室のソファにギュウギュウになりながら座るくらいなら、少しばかり本調子でなくとも私は立ったまま待つ方がいい。「すいません」と隙間に尻をねじ込める精神があればいいがそれはできない。
弾き飛ばされるのが怖いのなら、最初から円陣を組まなければいいし、その輪に入らなければいいいだけのことだと、私はおしくらまんじゅうという遊びと、Sちゃんから教わった。
ただ、その選択はとても険しいものなのだと大人になって痛感もするのだが。



posted by 見汐麻衣 at 21:17| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月22日

事実を話すことの難しさ。

伝言ゲームというものがある。
最初に発言した人の言うことを間に何人か介しそのまま正しく最後の人まで伝えるゲーム。
小学生の頃よくやっていたのだが、一言一句、最後の人まで正しく伝わった試しがなかった。

大人になって、誰かの話を人伝てに聞く時も同じ。
例えばAさんが
「昨日、新宿に行って映画を見ていたらお腹が痛くなって途中で帰った。」と言うとする。
それを聞いたBさん「昨日、新宿に行って映画を見ていたらお腹が痛くなって途中で帰ったらしい。」
と、Cさんに言う。
Cさん「昨日新宿に行って映画見てたらお腹壊して途中で帰ったらしいよ。」
それを聞いたDさん「昨日新宿に映画見に行ったらお腹壊して倒れたのか、体調良くないらしい。」
それを聞いたEさん「倒れて体調良くないらしいよ。」
いやいや、大袈裟な...とお思いになるかもしれませんが、実際私がAさんで、Eさんに会った時「倒れたらしいね、大丈夫?」と聞かれ「?」となり、元を辿るとそういうことになっていた。
それくらい、人を介せば介すほど事実とは違うものになるということを身をもって感じることが多々ある。
噂話もそうだ。そして、そんなことを言っている私自身がそうだ。
一言一句正しく人に伝える術が欠落している。
どうしてか、自分の思うことを他人の事実の中に入れようとして、大袈裟に伝えてしまう癖がある。
これは信頼ということにも繋がってくると、最近は本当に気をつけているのだけれど、元がそういう人間なのだから自分自身に染み付いてしまっている考え方や話し方の「癖」を改善するには時間がかかる。意識しないと無理だ。
高畑勲さんが東映動画に入社した時だったか、先輩への電話や人伝ての伝言を句読点も含め、一言一句正しくメモにとり、先輩に伝えていたという話を鈴木敏夫さんの書籍だったか、インタビューかで読んだことがある。
凄いな...と思い、記憶に残っている。些細なものと思われがちなことほど(口約束なんかも)正確に、当たり前にできる人が大きな仕事を成していくのかもしれないとすら思う。







posted by 見汐麻衣 at 15:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする