2017年01月03日

正月寿司雑記

先日購入した古本の中に葉書が挟んだままになっていた。
男が恋人に対して送った葉書。
最後に「今日までありがとう。お元気で。崇 S49.10.23」と書かれてあった。

こういうことは初めてではない。
13年前位前だろうか、福岡は西新にあったデパートで古本市があった。
そこで購入した本には500円札が2枚と手紙がはさまっていた。
香川県の古本屋で購入した本にも便箋が挟まっていたことがある。
隠したいものや、大切にとっておくのも違うが、捨てるには忍びないものを本に挟んで仕舞うというのは人の習性なのか。持ち主にさえ忘れられ、長い時間を巡りに巡ってふいに他人の手に渡った物の所在なさ。
結局どうすることもできず、本の中にしまったままである。
それから、本に挟まったままの手紙というのは、往々にして達筆、線が細い、筆圧が弱いのは何故か。
たまたま私が手にしたものがそういうものばかりだったのか。
文字に覇気がないのである。そしてそのどれも男が女に宛てたもの。
ひとつだけ、女が男に宛てた恋文というのがあった。
それはもう筆圧が強い。思いの丈が便箋のうらっかわにまでめり込んでいた。指でなぞってもわかるほど。
ド直球の想いをなんのてらいもなく投げつけている。
私だったら他人に見られようものなら恥ずかしくて死んでしまいたくなるだろう。

男が女に宛てた手紙はどれも万年筆で綴られたであろうものだった。
男は想いをしたためるのに、文章も手紙全体の雰囲気さえも演出しているように思える。
いつか誰かに見られてもはずかしくないように。
そういう部分に気付いたとき、男の繊細さというのは厄介なしろものだなと思う。
思うのだが、その厄介な繊細さを持ちあわせた人が生み出す映画や小説音楽などに感嘆し、影響を受け、鼓舞するのだから、まいってしまう。
いちばんはそういう男と付き合わなければいいだけの話である。
本の間に挟んで、しまっておきたくなるような手紙を書かない男が、いい。

















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2017年02月16日

似て非なるもの。

■TBSドラマ『カルテット』を毎週楽しみに観ている。
開始時間が近くなると、テレビの前に座って放映を待つ。録画ではなくそうまでして楽しみに待つなんて、大人になってからはないに等しいのだが、過去にもそういったドラマがいくつかあり、そのドラマ全ての脚本が坂元裕二という男性の手によるものだと気づいたのは『最高の離婚』からだった。
ぶっきらぼうな言い方をすると、向田邦子氏のドラマや小説を観たり読んだりした時に感じるもの。
「人々が生きていく為に塵と分別し、処分し、見送ってきたはずの日々悲喜交々の中にある、乱暴に扱うことはできないが大切にしすぎることでもないものごとに狙いをつけ、味付けを加え、劇的に差し出してくる。」
を、坂元氏の作る物語の中に感じる。
役者が口にする会話の言葉が文語っぽく、自分でも実際気になったセリフを口にしてみるとやはり口語としては普段の暮らしの中では言わないなと思ってしまい、少し違和感を感じるのだが、会話の派生の仕方や成り立ち方が妙にリアルなので、違和感もすぐに消えてしまう。
心で一人噛みしめる思い、寝る前に綴る日記か、こういったブログもそうなのかもしれないが、みなが口にせずとも想い、口にせずとも放つことで保たれている自身の営みに近しいものが放映時間(ドラマという別の日常)の中にぎゅーっと凝縮されており、観ているこちらも毎回「みぞみぞ」させられるのかと。毎週観終わるたびに感嘆のため息がでる。


■電車の中での居眠りほど気持ちの良いものはない。
夕方、空いた車両の座席でうとうとしていたら、目の前に立って会話をする女性二人。
小声で会話をしているのだがその響きが心地よく居眠りを助長してくる。居眠りで下車駅を逃すのは御免なので、眠ってしまわないようにと、会話の内容に耳を立てるが小声すぎて何を話しているのかは全くわからない。が、しばらくして「だからあなたは駄目なのよ」と言う言葉がしっかり聞こえた。その言葉がきっかけとなりさっきまで小声で話していた二人はどんどんヒートアップし「じゃあ言わせてもらうけどさ!」だの「〇〇はそうやって人の嫌な部分を!」だの、さっきまでとは打って変わり、威勢のいい罵詈雑言が飛び交う。私は笑ってしまったのだが幸いマスクをしていたので目は笑わないよう気を使うので必死だった。
「〇〇がそうやって、なんでも許してきてあげたと思っていることほど、□□は〇〇に許されたなんて思ってないし、その逆であんたを憎いと思ってもそれ言わずに付き合ってるんじゃないよ!□□の方がよっぽど優しいわ!あんたの優しさは自己満足よ!〇〇のは誰も救わない優しさよ!」

この二人がその後どうなったのかわかりませんが、そそくさと最寄り駅で降りた後、
「誰も救わない優しさ」なんてあるのだろうかと考えながらしばらくホームでぼんやり過ごす。
いや、そもそも優しさが人を救うことなんてあるのかと考えながらふと、永六輔氏の『無名人名語録』を思い出し、どんな人でも会話の中でハッとするようなことを言っているときがあると思う。思い出した後にドラマ『カルテット』の中でのセリフ「人生には、みっつの坂があるそうです。上り坂、下り坂、まさか。」というのを思い出し口にしたら不覚にも「ふふ…」と笑ってしまう。

名言、名文句、名セリフ。
全て日常から生まれるものですが、その日常全てが似て非なるもの。
わたくしの明日は、浅草でライブでございます。
きてね。
posted by 見汐麻衣 at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

あじさい

■よく電話をする日だった。
「誰かが言ってたけど人生はくちびるから生まれるんだって、すなわち言葉があんたを、人生を作るってことよ」
「ピンとキリ、どっちも知ってりゃ真ん中なんか簡単よって森繁久彌が言ってたよ」
なんとなく印象に残り覚えているふたつ。
誰かに言われたことばかりが言われた当時より最近になって身に染みる。染みるというより体当たりされている感じに近いのか。

□電話を切って昼食に出る。
食事をすませて帰路の途中、最寄駅近くにある富士見橋でぼんやりする。
今自分の住んでいる町があまり好きではないのだが、この場所だけは唯一好ましく思う。電車が流れていくのをぼんやりして眺めるだけの数分。
「〇〇しゃん、あのお花はあじしゃいですか?」という声がして隣を見ると、なんの気配もなくそこに突然現れた上品なお婆様と女の子が隣で電車を見ていた。(私がぼんやりしすぎているだけだが)
「そうよ、あじさいよ。」「かわいいね」「そうね」
なんともない平凡なやりとりに勝手に癒されていたのだが「なんであじしゃいはいっぱい咲いてるの?」女の子が私に聞いてきた。一瞬「え…?」と思うも突然で普通に答えてしまった。
「これからの時期、雨がたくさん降るときに電車が往来する線路に土砂崩れなんかあったら困るから、あじさいを植えてるんじゃないかとおもいます。あじさいは、根っこがふかくて梅雨の時期に咲く花だし、花も、正確には花びらじゃないんですけど、その色鮮やかさによって景観もよくなるだろうし、根っこが土砂崩れを防いでくれるからじゃないかと。」
「......」女の子はじーっと私を見たまま表情を変えずに凝視している。会釈して立ち去ろうとした時
「よくご存知なんですね。」と、お婆様。
「昔住んでいた家の庭にこれでもかというくらい咲いていた唯一の花だったので......」
「この近くでいらっしゃるの?」「いえ、九州の方です。」
「あら、そうなの。今はこの辺りですか?」「あー...はい。」
「ごめんなさいね、突然。」「いえ、お孫さんですか?」
「えぇ、ひい孫になります。」「ひい孫...」
「そう、ひい孫。」「(向田氏の本を持っている手を見て)向田さん、好きなの?」
「え?あ、はい。」「むかーしにお会いしたことあるわ」「え!そうなんですか。」「えぇ、もう随分前のことですけどね」「編集のお仕事かなにかされてらっしゃんたんですか?」「いえいえ、私じゃなくて主人がね。」「あぁ、そうなんですか。」「赤坂にね、ままやっていうお店があったのよ。」「あぁ、知っています。」「そこにね、よく行っていた時期があってね......」
まさかこんなところでそんな話になるとは思ってもなく、時間にすると10、15分位なのだがもっと長く話をしているような時間の流れ方だった。
その間、女の子はぐずることもせずにじっとあじさいを見ていて、
子供なのに、私よりも随分大人だなと思ってしまった。
別れ際お婆様が
「あなた、お名前なんておっしゃるの?失礼じゃなければ教えて頂ける?」と言われ
「あ、見汐です。見汐と言います。」と答えると
「いいお名前ね。名前はねその人の人生の題名だからね。」「題名ですか.....。」

お婆様と女の子と別れた帰り道、
そう言えば、お婆様はひい孫に自分の事を名前で呼ばせていたなと気づく。
「名前で呼んでもらえることがどれだけ幸せなことかをね、皆当たり前すぎてわかってらっしゃらないのかもしれませんね。」と最後に言っていたお婆様の名前はとても綺麗な名前だった。









posted by 見汐麻衣 at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする