2020年05月10日

2020年5月10日(日)「生春巻き」

「ママのご飯食べたい!」

此処で言うママは母親のことではない。四谷三丁目にある会員制のスナック「アーバン」のママのこと。
大人になり友人知人のお宅に呼ばれ食事をご馳走になると言うことが減った。人を招くのは好きだが、招かれると少し躊躇してしまうところがある。子供の頃と比べ、個人個人が自由に暮らす中で近所付き合いや親族との密な交流も減り、また私の近い友人知人には家庭を持った人も多く、そうなると気安く「今日行ってもいい?」なんて言いづらさもある。が、アーバンのママ、臼井さんには「ママのご飯食べたい」と会話に何の前後もなくとも言ってしまう。母親にさえ随分とそんなこと言っていないのに、よく考えると失礼なのかもしれないが。

臼井さんの手料理を初めて食べたのは2018年3月3日のことだった。
初めてお宅にお邪魔することもあり、「どんなお酒がいいのか...」と小一時間程悩み、結局は缶ビールと白ワインを購入し向かった。
臼井さん宅で初めて会うアーバンのホステスの皆様と挨拶もそこそこに乾杯し、皆で持ち寄ったアテをつまみ談話しながら臼井さんの手料理をつまむ。名前を失念してしまったが、色んな国のスパイスを堪能できるものから、組み合わせによりこんなに美味しく頂けるのかと驚くもの、まだ訪れたことのない国の、食べたことのない料理や、この夜私は小言のようにイチイチ「美味しい...」を繰り返し気分良く酒に酔い帰路についた。


2020年、年明け。
アーバンのお客様主催の新年会が店で行われた。その夜は臼井さんの料理がカウンターに並べられビュッフェ方式で皆思い思いに皿に取り会話と食事と酒を楽しまれる中、料理の中の一品「生春巻き」を私は取り憑かれたように食べていた。「あんた...好き過ぎるでしょ笑」と臼井さんに言われたような気もする。過去に食べた生春巻きの味と変わらないようで何かが違うのである。口に運ぶ度「今この一個を初めて食べる」と、脳みそがリセットされるくらい箸が止まらないのである。が、口に入れると懐かしい味なのである。「これは...一体なんだろう」不思議な気持ちになった。帰る頃にはお腹が蛙腹のように膨れあがり、身体を反って帰宅した。久しぶりに食い意地の止まらない夜でみっともない姿だったと思う。それから2ヶ月後、外出自粛の声が濃くなる数日前「ママのご飯食べたい」とメールをして「何か食べたいものある?」と聞かれ躊躇いもなく「生春巻き!」と応えた。臼井さん宅に着くとトミちゃん、さちよさんも一緒で、臼井さんの料理を頂きながら、その間にも手際よく料理を続ける臼井さんの後ろ姿を見るでもなく見ているうち、臼井さんの作る料理には情緒が多分に含まれてるのではないかと思った。仕事のひとつでもあるとは思うけれど、臼井さんは週末になると色んな国へ出掛け、訪れる町の食堂や酒場、地元の人々が毎日口にしているものを昨日もそうしていたかのように、現地の人々に混ざり一緒に食べながらその日、その場所にしかない風景や自然の成り行きを意識せず、そう在るものとして誰よりも敏感に感じている人なのではないかと思う。
色んな国の食材や調味料を使い、その国の味になるかといえば多分そうではなく、まず最初に「あそこで食べたアレが食べたい」という思いが先にあり、その料理を思い出すとき、料理に付随する物語も一緒に呼び起こされているのではと思うのである。
作る過程で臼井さんが感じた情緒が無意識に味に含まれてるのではと思うと、臼井さんの生春巻きに取り憑かれた身としては納得のいくことばかりだった。私の考え過ぎかもしれないのは否めない。
ただ、臼井さんの作るものには特にまだ口にしたこともないのに、その一品を初めて見、食べるにも関わらず、既に懐かしさを感じてしまうことが多い。それはやっぱり情緒だと思うのだ。料理は愛情と言ったのは結城貢だが、私は愛情とは別に料理にも情緒があると教えてくれた臼井さんの生春巻きをもう今すぐにでも食べたくて仕方がないのである。






posted by 見汐麻衣 at 15:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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