2020年02月19日

2020年2月18日(火)

心が動いた瞬間に「さよなら」と言っている。
口にするでもなく、無言のまま静かに。


夕方。
幼子と荷物を抱えた女性が歩道橋の上で右往左往していた。
道に迷っているらしかった。声をかけようかとためらっていると女性はこうべを垂れて深いため息をついた。
ため息の流れる方に目をやると女性の小さな足。
その小さな足を見て胸にくるものがあった。自分の母親のことを思い出していた。

母は22.5cmの靴を履いてた。
玄関に並んだ母のスニーカーやハイヒールが浮かんだ。随分と昔の記憶。
朝も昼も夜も働く母親が唯一の休みだと知りながらも買い物に連れて行ってとせがんだ日があった。
あまりにしつこい私に母親は怪訝な顔をしてムクリと起き上がり無言で車の鍵を持って玄関に向かった。
普段はそんな履き方をしないのに、つっけんどんに踵を踏んだまま外に出ようとする母の足元を見て機嫌の悪さを改めて感じてしまい、悪いことをしたと自分を責めたことを憶えている。

連れ行ってもらった場所は当時町で一番大きなデパートで、一人でうろうろしているうちにすぐに迷子になる。
母のそばを離れずにいようと思うのだけれど、きらびやかな玩具や洋服に心が踊りいつの間にか母の姿が見えなくなっていた。
無理を言って連れてきてもらったこと、母の機嫌を悪くしてしまったことに後悔と悲しい気持ちでいっぱいだった。
半ベソをかきながら母を必死に探していると、母が私を探している姿が見えた。
その時私は何故か咄嗟にしゃがみ込み隠れた。どうしてそうしたのか今でもわからない。しゃがみ込んだまますり足で母の足元を見ながら母を追いかける。一瞬立ち止まった母が踵を踏んだままの靴を履き直した。そして早足で私を探しだした。
私はスクと立ち上がり母の元まで駆け寄った。母は「あんた......なんしよるとね。いい加減にして。はよなん買うか決めて。帰るよ」
怒られているのだけれど嬉しかった。母が靴を履き直したこと、その瞬間を見ることができたことが嬉しかった。
とても歪んだ受け取り方かもしれないが私はその時、母親の愛情を深く感じたのだと思う。



今まで思い出すこともなかったその記憶が一瞬で現れ、味わい、消えた。
我に返り道に迷っていた女性に声をかけた。東京メトロ副都心線までの道順を伝えた後、後ろ姿をしばらく見送りながらどうして女性の足をみて胸にくるものがあったのか。これまで思い出すこともなかった母との記憶を今一度味わう気持ちは既にない。
記憶にも弔うタイミングがあるのかもしれない。ふとしたことがきっかけになるにしろ、それは突然にやってくるしこちらの都合ではない。
思い出したからといって何かが変化するようなことでもない。ただ生きてきた中で、鮮明に語れる記憶以外の中にその人にしか解らない大切なものがあるのかもしれない。一瞬心が動くその瞬間と同時に「さよなら」と清々しい気持ちで手を振ることが最近増えている。
大切なものほど抱えることなんかしないほうがいいのかもしれない。




posted by 見汐麻衣 at 13:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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