2019年02月13日

雑記。


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noteというサイトにて、「寿司日乗」というものをはじめました。
寿司日記を始めて14年。思ったこと、感じたことなどを綴っておりますが、寿司日乗では、毎日の出来事を記録していこうと思い、始めてみました。一日のおわり、今日の出来事を振り返って記録しているだけですが、何卒。
寿司日記と共通していることといえば「なんでもないことを記す」ということかなぁと思っています。

寿司日乗






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「現実が正解なんだよ」立川談志が言っていた。(立川談春の著書で読んだ記憶がある。)
続けて、
「現実は事実だ。でもな、事実と真実は全く違うものなんだ」とも言っていた。

当時の私はこの言葉に激しく共感しました。
他人が語り出す言葉や人様の綴った日記やエッセイ。
いろんなものを聞いたり、読んだりしていく中で、捉え方や考え方、感じ方を学ばせてもらってばかりいます。
そこにはその人にしか見ることのできない「まなざし」があって、これはみんな違う。

人の「まなざし」は型に収まるものではないし、収まらないからこそ、伝えようと、はなそうと言葉を探すんだと思う。
自身が苦悩し、探しだそうとして諦めた途端、閃いたり。その瞬間見つけて掴んだ言葉には、その行為に要した時間があり、その時間の深さだけ、よりシンプルな言葉が導き出されたりもするんだなと思う。

言葉の持つ〈重さ・軽さ〉というものは、その言葉にたどり着くまでに経てきた時間の比重があると思う。時間を費やすことが全てにおいていいと言っているわけではなく、以前も寿司日記で書いたけれど、考えたり、悩んだりしている時間(瞬間だったりもする)の深淵に触れることができたとき感じることを書きとめておきたいと常々思う。
時間をかけていない言葉には、重さも軽さも見当たらない。テレビでしどろもどろになる政治家のおっさん達を観ていてよく思う。

話が逸れた。
つまり、人の「まなざし」を聞いたり、読んだりは、苦しくて、でも楽しい。
現実を自分の言葉で説明できる、提示できることに辿り着いた人が語りだしたとき、現実(事実)の中に垣間みえる真実ほど甘美で、心が動くものは他にない。話そう語ろうと言う行為は自然にやっている創造のひとつだとも思う。それを突き詰めていく人は本や映画や音楽や踊りに形を変えていくのかな。料理もそうかな。
そういう、自分の「まなざし」は全て他者からの賜物だと思っています。







posted by 見汐麻衣 at 14:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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