2017年03月30日

うたう見汐麻衣。

本日、第一回目。

3月30日(木) @高円寺円盤
20:00 \1,500(1drinK付)
「うたう見汐麻衣」
見汐麻衣(歌) 野田薫(pf)



去年の11月、円盤の田口さんに「やってみないか?」と言われ、暫く考えた結果、始めることにしました。
円盤勤務時、田口さんとはよく「歌」について「歌うこと」について色んな話をしていました。
いや、話をしていたというより、私のうだつの上がらなさを延々聞いてもらっていたという方が正しいです。

少し、長くなりますがお付き合いください。

 1980年代のこと。家庭の事情により、小学校4年生までは父方の実家に預けられ暮らしていました。
父の母(私にとっておばあちゃん)はまぁとにかく歌が好きで、老人会で行われる旅行に毎回同行していた私は、おばあちゃんに教えてもらう歌、テレビで流れる流行歌を憶えては老人会で歌っていました。
それには理由がありました。どうしても欲しい玩具があり、買って欲しいとおじいちゃんにお願いしたところ
「欲しい玩具があるのなら、買ってとお願いする前に、自分でどうにかして手に入れることを考えてみろ」と、おじいちゃんに言われたのがきっかけでした。
おじいちゃんは戦中、戦後とても苦労をして、戦争というものがどれだけ大変なことだったか、どんなことがあったのかを毎日の食事の前にしてくるような人でした。「飯粒を残すな」「ゲーム機なんかなくとも外に出れば遊べる道具はいくらでもある」「お金を使うことばかり考えるな」当時の私からするとうんざりする、五月蝿い人だったのも否めません。

 貧乏というわけでは決してなかったのですが、本当に欲しいものなら、自分のお金(お小遣いを貯めることもそう)で、どうにかしてみなさい。というようなことだったと思います。しかし、まだ4歳そこらの子供だったわけでして、稼ぐとということがどういうことか、全くわかりませんでした。
そこでおばあちゃんの提案が「老人会の中で歌を歌って、おひねりをもらえたら、そのお金でおもちゃを買えるのではないか?」ということでした。満州にいた頃、裁縫の先生をしていたというおばあちゃんは立派な浴衣を何枚もこしらえてくれ、それを着て、歌を唄うと、ちり紙(ティッシュではなくちり紙でした)に包まれたお金がステージに向かってたくさん飛んできました。些細な額ですが、欲しいお菓子やちょっとした玩具を買うには事足りる金額でした。その時私は「歌うことでお金になるのだな(欲しい物が自分で買えるのだ)」と本当に、単純にそう思い、それからも老人会でよく歌っていました。そのうち、歌を聴いているおじいちゃん、おばあちゃん達の表情が気になるようになりました。例えば並木路子の「リンゴの唄」を歌うとみんながどこからともなく手拍子を始め、泣いている人などもいました。私はとても不思議な気持ちになりました。笠置シヅ子を唄えば踊る人もいましたし、ぼんやり宙を仰ぎ見るような人もいました。「流行歌」「歌」そのものにみんなが特別な思い出や物語を持っている気がしました。
5,6歳だった私はこの時「歌はすごいな」と、心から思ったのを憶えています。
大人になり私の中に、歌っている人が誰かは正直どうでもいい、その歌を唄いきる歌い手がいて、その歌、そのものを聴きたい、聴かせてくれと思う気持ちがあるのは、この時の経験が大きいのかもしれません。

 小学校4年生になり、母と暮らすようになりました。
母は兄と私を育てていくために、夜は飲み屋を経営していました。
母と居たかった私は、週末ごとに母の店に行くようになりました。
ここでもお客さんの望む歌を歌えばおひねりがもらえました。
貰えるおひねりが増える度、どういう歌を歌えばお客さんが喜んでくれるのか考えるようになりました。やはりここでも「歌」そのものを聴いている大人達が涙したり、笑って手拍子したり、子供の自分が歌っても(子供だったからもあるでしょうが)みんな歌を聴いて楽しそうにしているその時間がとても好きでした。ある日、一人のお客さんに「いつも聴きたい歌を唄ってくれてありがとね。おいちゃん、来週からも頑張るよ」と言われたことがありました。この人は母の店の常連客の中で唯一、堅気ではない人で、ひとり静かに私の唄う歌を真面目に聴いていました。今思うと、色んな職種の大人がいたのだと思うのですが、ここでは改めて「いろんな人の時間をその人の”ある時”に戻してしまう、歌の持つ凄さってなんだろうか?」と思った記憶があります。

「歌えばお金になる、欲しい物は自分で買うことができる。」
これはもう、私の中で確かなものになっていました。
ただ、それもバブルが終わるまでの出来事でした。歌わせて貰える場所があって、歌えていただけであり、
歌を聞くことを目的としてその場所にきた人達ではなかったわけです。
中学生になり、色んな音楽を自発的に聴くようになり、自意識が芽生え、楽器を練習し、単純に「歌うこと」の楽しさが消えていき、バンドを組んでは試行錯誤し、若い人なら必ず通るであろう「大人はわかってくれない」時期を悶々と過ごし、歌をバカにしている時もありました。あんなのかっこ悪い。自分で作ってもないくせに。などと思う時もありました。無知の塊。そして大人になりようやくわかりました。
「ただ歌うことはお金にならない。歌を稼業にするなんていうことはとても大変なことだ。なんということでしょうか。」
これは、もう少し長い説明を要することなのですが、ここでは省きます。

30代、縁あって、高円寺円盤で時々店番をするようになりました。
上記の話を田口さんに聞いてもらい、色んな話をするうちに、もう一度歌を唄ってみたいと思うようになりました。「いやいや、唄ってるじゃない」と言われたらそうです。バンドも継続していますし、歌を唄っています。
ここで私の言う「歌を唄う」と言うのは、「唄う人が誰かなどというのはどうでもいい。歌そのものを唄うことができるのだろうか?」ということです。

昔は良かったなどという気持ちは全くありません。戦後ジャズやブギー、歌謡曲、色んな時代の全盛期、そういう風になるべくしてなったことというものがあると思いますし、今は今、とてもいい曲だって歌だって、聴いていればたくさんあります。
ただ、私は人様が作ったスンバラシイ曲がこの世には数え切れないくらいあって、その曲たちを今唄っていきたい。ただ、そう考えるだけです。同じ時代を生きている老若男女でも、それぞれにその人達の全盛期、青春、鮮烈な時間というのは異なるわけで、そこには必ずその時どきで「歌」がひっついているように思えます。
歌自体が持つ凄みのようなものは一体なんなのでしょうか。それは聴いてくれる人達が作り上げる幻想のようなものなのでしょうか。

自分にどういうことができるのか全くわかりませんし、ただ唄うということの難しさと楽しさはたくさん感じてきました。

と、いうわけでとても長くなりましたが、
これから高円寺円盤にて、各月(5.7.9.11月)最終木曜日「うたう見汐麻衣」を行います。次回はどういう内容になるのか全くわかりません。このシリーズでは「唄うこと」をやっていきます。
こんなに書いていて、なんですが、来てくださるお客さんにはただ、楽しんでもらえればそれだけが本望です。
何にも難しいことをするわけではありません。

お時間あれば是非、ご来場お待ちしております!
posted by 見汐麻衣 at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | LIVE情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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