2015年02月06日

みえてないけど。

とにかく目が悪い。
先日眼科検診に行ったら視力がまた落ちていた。

コンタクトレンズをはめるのを忘れたまま家を出た。さほどきにせずそのまま区民プールへ行く。プールでは運営側の決まりで1時間に10分休憩しなければいけないのだが、その間みなプールサイドで過ごす。陽当たりのいい場所に座って水面をみていると、光が乱反射し水面と天井を照らす。形があるようでないからずっとみているとはっきりみえないことも相俟って天井に出来た陰影と、水面を照らす光がよくわからない無脊椎の生き物にみえてきて怖くなる。素早く動いたと思ったら消える。しばらくすると突然光って大きくなり揺れている。プールは水の存在する場所の中でもとても無機質な空間だと思う。そこで時間を気にせずまたここが何処だか考えないでいると、何処だか解らないがとても居心地のいい場所にただ居る、という感覚が生まれてきて、近未来的でもあるしとても遠い過去に身を置いているように感じることもある。平日の朝のプールには私と監視役の人以外、老人しかいない。10分の休憩が終わって水の中に戻る。老人と私が水中を一律に歩いている。それを監視役の人がじっと見ている。というこの空間が最近はほんとうに居心地がいい。なにもみえないまま水の中を歩いたり、泳いだりしているときの身体に従っているだけの時間がなにもみえないでいても考えないでいてもできることがはっきりしていて、いい。

裸眼のまま在るものを見ていると、全ての物に輪郭がない。はっきりしない。ぼんやりとただあるだけで近づいて初めてわかる。猫だと思って近づいたらゴミ袋だったり、穴が空いてると思い気になって近づくとペンキで黒く塗られた●だったりする。財布が落ちていると思い拾う寸前で木の板だとわかったこともあった。花屋に並んだ花も淡い色々の「なにか」でしかないし、駅前に並んでいる自転車も握ったらぐにゃりとなりそうな「もの」にみえる。人の顔に至ってはなにも認識できないので至近距離になるまで「なにか動いている、ちかづいてくる物体」でしかないし、夜になると恐怖が一気に増す。ただゆらゆら動くものが近づいてきたり、道の端に在ったりするものだから怖い。自分の思うものからかけはなれていくのは快感でもある。

眼鏡もコンタクトレンズもなかった昔にも目が悪い人が居ただろうと思うのだが、きちんと認識できない中でみえたものから生まれた怖い話や妖怪もいるんじゃないかと今ふと思った。が、どうだろう。そういえば小さい頃近所に目の見えないお婆さんが住んでいて可愛がってもらっていた時、お婆さんの「気配」を察する感覚は敏感で、この人見えてるんじゃないのか?と思うこともよくあった。自分がほんとうにみたいものをみるにはみえないくらいがちょうどいいのか。いや、どうなんだろう。日がな一日を思うように暮らしたいなら、みえてないくらいがちょうどいいと思う。その方が心地よいし、思った通りじゃないことに嬉しさを感じる。
posted by 見汐麻衣 at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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