2019年01月21日

ジュリー。


永遠に聴いていたい〈声色〉というものがあります。
パッと思いついた人だとKaren Carpenter, Cat Power, mmmや堀込泰行。
そして昨日のライブを観て沢田研二もそうだなぁと改めて思いました。
全て私個人の主観です。
(歌の)詞を声に混ぜて発するとき、言葉に色を魅せることのできる声色というのは本人に備わっているものでただただ羨ましい。そして、その声色に艶を感じるのは圧倒的にジュリーです。

熱心なジュリーファンではないですが、60年代後半から80年代半ばまでのジュリーの歌が楽曲も含めとかく好きで、(井上堯之バンドとの演奏は特に好き)そしてやはりあの声色と艶。それに加え70歳になった現在でも歌い続けているということ。どういうライブなのか観てみたいと思いジュリーのライブに初めて行くことにしました。編成は柴山和彦(Gu)と沢田研二とのデュオ。あんなに広い会場でそれができる、試みれるということに長年歌を生業にしてきた人の〈これまで〉と〈いま〉を始まる前から感じ、背筋が伸びる。
これから観に行かれる方もいらっしゃるでしょうし内容は割愛しますが、
新しい曲や知らない曲でもじっくりと聴かせることのできるあの声色とうたごえ。なによりもライブ=ショウというものを体現し続けている人の真摯さ。
当日の衣装も(考え過ぎかもしれませんが)私には〈道化師としての自負〉を感じ、「好きなことだけをしてきた訳ではない。好きなことだけやっていたら僕はここにはいなかったでしょう。だけれどもそれが偉いとか凄いとかいうことでもない。ただ自分はそうやってうたってきた。」という旨のMCを聴きながら「歌が好きとか嫌いという次元ではなく、歌そのものに〈成る人〉なんだろうな」と思うに至りました。それが歌手なんだなと。


年末、高円寺円盤で田口(史人)さんと湯浅(学)さんのトークを聴いていたとき(何についてかは失念しました)その中で「ヒット曲だけ聴きたいってのは、歌手のうたが聴きたいってくらいでさ、アルバムを聴くってのはさ、その人の表現を観る聴くってことじゃん?」というような話をされていて、ジュリーのライブを観ていたときにその言葉がふと頭にうかびました。
中途半端なものを観せられていたならばきっと、集中力も続かず「知ってる曲やってくれないかな......」と思っていただろうなと。
沢田研二という人は「うたうこと、作ること」を実直にずっとやっている至極当たり前のことを続けているミュージシャンなのだなと改めて思いました。2時間弱のライブの中で色々な曲調の歌を声色はそのままに、〈その曲に(自分が)成る〉音域と技巧を駆使し、歌そのものを魅せることのできる姿、一挙一動に釘付けでした。
『カサブランカ・ダンディ』を聴けたことももちろん嬉しかったのですが、往年のヒット曲をうたうジュリーよりもテレビに頻繁に出演しなくなってから音楽(ライブ)を続けている沢田研二のうたを堪能できる時間でした。
『風は知らない』(作詞:岩谷時子 作曲:村井邦彦)をうたいだしたとき、幼少の頃ブラウン管で観ていた頃のジュリーそのままで、アルトボイスがとにかく魅力的で力まずフワッと滑らかにうたっている立ち姿に含め、好きな曲ということもありおのずと目から水が溢れる始末。
うたい続けている人の〈経てきた時間〉が現れる瞬間というものを錯覚であれ観れたように感じました。

そうそう、3月にはブライアン・フェリー(この方も70過ぎて現役でございます。)も観れますし、楽しみです。







posted by 見汐麻衣 at 15:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする