2016年01月05日

わからないこと。

鷲田清一著書「ことばの顔」(中公文庫)読み返す。

『(前略)暗中模索という言葉がある。五里霧中という言葉もある。そんな中で、どうしても言葉にならないような感情に浸されると、ひとはまるで唸りごえをあげるかのように「ムカつく」や「しんどい」といった言葉を口にするのだろう。どんな語でもいいのだ。唸りになれば。(後略)』

『わからないことの存在に気付くということ。そこからこそ本当の『わかる』といういとなみが始まるのではないだろうか。偶然がかさなり、見通しもちゃんとつかないままに、なんらかの決定をしなければいけないというのは政治的思考のツネである。』

『生きるうえで大切なことは、わからないものにかこまれたとき、どう処するかの智恵であろう。』

鷲田氏の本は定期的に読み返しています。
自分のやろうとしていることは「曖昧なことを割り切るのではなく、曖昧なままに正確に表現すること」だと思っている。ただ、「生きていくこと」に付随する全てのものごとをその考えで押し通すのは難しい。
なぜなら……の後の言葉がまだみつからない。説明できない。
難しいと気付いたその先が一番肝心な部分だとわかっている。でも、まだわからない。説明できないことを説明できるようになるまでは話さなければいいと思うようになった。私はおしゃべりがすぎる。
時間を使えば知れること。それは時間の長さではなく、時間の深いところまでどれくらいいけるのか。時間を掘る作業はいつも「ひとりきり」であることが条件だとおもう。「わからないこと」をみつけるときも自力でないと意味がない。
posted by 見汐麻衣 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする