2020年12月29日

2020年12月29日(火)「2020年1年分の戯言」


今日一日大掃除をして、今日はもう呑んでいます。
今年、自身のライブは1月、2月と通常通りの演奏があり、3月に九州ツアーをやって、それ以降決まっていた演奏は全てキャンセルになり、やる気を無くしていてもいかんと8月に1本、10月に1本やっただけでしたがご来場頂いた皆様、配信でご覧いただいた方々、改めてありがとうございました。想定外の出来事により、歌うことや演奏することから離れてみると「あぁ、もう違う人生を生きることもありかもしれない」と思ったり思わなかったりしながらも曲は作っていて、曲はできるけれどただ「出来る」だけでピンとこない毎日でしたが、先月、一曲「あ、これはいいな」と思うものができて新しい作品を作れそうな入り口に立てた感じがあります。今年初めて、何もリリースしない年になりました。2010年から毎年何かしら作ってリリースしていたのですが。まぁ、こんな話は何も面白くないですね。皆様もそうかもしれませんが、自分の残りの人生、何をやるか真剣に考え直す1年でした。考え直したところでどうなる訳でもない事の方が(私の場合)圧倒的に多いのですが、やりたいことややってみたいことは時間がかかっても臆せずやろうと思ったくらいです。何事にも真面目でまっすぐな友人の口から「これからはしっとり生きる」と言う言葉を聞いたとき「しっかりじゃなくて?」と聞き返すと「うん、しっとり生きる」と言っていたのがいいなと思いました。静かに落ち着いて、好ましい趣のある感じ。そうだな、何もせっついて生きる必要はないなと、ワタクシも来年はしっとり生きようと思います。



人様との交わりが減った1年。それでも馴染みの酒場には顔を出し、何時も会う人達とだけ近況を話したり、悪態をついたりしていました。そんな1年の中で自分でも以外なのですが、とても寂しいと思ったことがひとつあります。必ず見かける人を見なくなったことです。ライブ会場、電車の中、喫茶店、定食屋、飲み屋、喫煙室。名前も知らないし、何処に住んでいるのかも、どんな人かも全く知らないその人達と約束をした訳でもないのに、必ず会う。ただ見かけることでホッとする気持ちが多かったんです。そこに深い理由などないのですが、私にとって毎日の句読点となる場所に必ずその、見かけるだけの人がいると言うことは何かこう、1日の流れを滞りなく過ごせる印のようなものだったのだと、そのことに気付いたとき、とても寂しい気持ちになりました。以前寿司日記にも書いたのですが淡交がいくつも複雑に繋がっているのが日常の面白さだと思う自分にとって、今年は正直に言って本当に寂しい1年でした。苦悩する事柄も沢山あった1年ですが、それよりも寂しさを強く感じたことの方が印象に残る1年でした。



来年の抱負でも...と思ったのですが、色々な準備に時間を費やす1年になるだろうなと思っています。
寿司日記をご覧の皆様が健康でありますように。姿も顔も知らない皆様のおかげで救われる気持ちもあります。今年もありがとうございました。
最後に、「淡交」を再掲して今年の締めくくりとしよう。
良いお年を!
  



「淡交」
 
毎日通う喫茶店、気付くと何時も同じ席に座るお爺さんがいる。
朝の電車。同じ時間に同じ車両で見かけるお婆さん。
とある喫煙所で会う度に会釈する男性。一度だけライターを借りた。
なぎ食堂に毎週火曜日にくる女性。皆、それぞれに話をしたこともなければ、名前さえ知らない。
けれど、
好きな珈琲が何かは知っている。
読んでいる本が何かも知っている。
吸っている煙草の銘柄も。
味噌汁に入った油揚げが苦手なことも、カモミール茶が好きなことも知っている。

決まった場所や曜日や時間に会う人達。顔を見ると安堵する。何故かホッとする。
しばらく見かけなくなると、どうしたんだろうかと気にもなる。

何も知らない人を知っているということに、その距離に、すっきりとした心地よさを感じるのはなんだろうか。
   



posted by 見汐麻衣 at 20:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月11日

2020年10月11日(日)


ここ数日、深夜2時過ぎると近所の家から料理をしている匂いが漂ってくる。
寝室の窓を少し開けて寝ているのだが、いい匂いで起きてしまう。昨日は甘い醤油の匂いだった。多分、煮物か煮魚か。
その前はスパイスの香りがしていた。その前はおでんの出汁のような匂い。深夜2時に帰宅する家の人がいるのか。もしそうならこの時間からしっかり料理をしていると思うと相手に美味しいものを食べさせようと深夜に料理をするその姿勢に泣けてくる。もしくは翌日のお弁当?朝ごはん?わからないけれど、私はこのいい匂いで起きてしまい、小腹が空いてしまう。ムクリと起き上がり台所に行く。冷蔵庫を開け、キムチを取り出し、ご飯をよそい、晩の味噌汁をご飯にかけてキムチをのせて混ぜて食べる。山葵を少し足して誰も見ていないのだからと立ったまま口いっぱいにかきこみお茶漬けのコマーシャルみたいにワザと音を立て食べる。行儀が悪かろうが何だろうがいいのよ。これが、何より旨い。


私は5歳位だったと思う。大きな台風が来た晩。夜、祖父が何かの用事で出掛けるということで雨具を身につけ玄関に立っていた。
祖父を見送る為だったのか、私は玄関の小上がりに居た。祖父が大きな声で「おい!卵かけご飯ばもってこい!」と祖母に言った。しばらくして祖母が茶碗一杯に盛った白飯と箸を祖父に渡し、その場で卵を割って白飯の上に落とし醤油をかけた。祖父は立ったままそれを勢いよく掻き回し、一気にズルズルズルっとかきこんでいた。私はそれをジッと見ながら卵かけご飯がどんなご馳走より美味しそうに見えた。祖父はあっという間に平らげて、出掛けて行った。私はどうしても卵かけご飯が食べたくなり「さっきの私も食べたい!」と祖母にせがんで同じように立ったまま勢いよく掻き混ぜて口に入れた。のだが、私の記憶ではこの時が人生で初めての卵かけご飯であり、ズルズルという音の正体が白身だとわかって気持ちが悪くなった。祖父の食べていた卵かけご飯はあんなに美味しそうだったのに、ドロッとした白身が気持ち悪くて残してしまった。今でも白身は避けてしまう。チャチャっとかきこむ飯が何故あんなに美味しそうに見えるのか。

深夜に一人、台所で立ったままひっそりと豪快に済ますご飯の美味しさ程、旨いものはないな...と最近思ったこと。
静かな部屋に響く漬物をボリボリ噛む音、汁物をズズズと啜る音、やめられない。でも、太りたくはない。いやぁ、今日は2時に起きませんように。
posted by 見汐麻衣 at 21:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月14日

2020年9月14日(月)「鉛筆の握り方」


この数週間、朝起きると左側の手足小指を中心に痺れている。しばらくほっておくと治るのだが、今朝は左手全体がその状態で夕方になっても違和感があるので怖くなり脳神経内科を予約。いつもは身体に少々でも変化があるとすぐ病院に行くのだが、身体のいうことを聞くのも億劫になるくらい疲れがあると放っておいてしまう。何もないに越したことはないのだから些細な違和感を感じたら直ぐに診察に行くべきねと改めて思う。
何処も悪くありませんように。


先週、所用で税務署に行った。
担当してくれた役所の青年の対応が事務的なのは全く問題ないのだが、言葉の端々に気怠さを露わにしている様子が垣間見れ、気分がいいものではなかった。まぁ、仕方ないのだ。一日何人も色んな人間を相手にしているとこうなるものだと思いやりとりを進めていると、青年のある行動がとても不愉快に感じた。書類記入にあたり、解らない事を聞きながらメモをとっていたのだが、私の鉛筆の握り方を見て「ふはっ」と鼻で笑われた。しっかり聞こえたので顔を上げて一目すると青年は顔を逸らした。そこからあからさまに、対応が変わったのがわかった。低く見積もられたその態度に、それ以降その青年が何を言っても頭に入ってこない。
私は鉛筆を持つ時に人差し指と中指に挟めて書く。この持ち方が世の中で言う所の伝統的な持ち方でないのは解っているけれど、人様に咎められた事はない。一度だけ小学生の頃担任の先生に「大人になってその持ち方では笑われる」と言われた事がある。その時私は「どうして笑われるのですか?」と聞いた。先生は答えをくれなかった。幾度か練習したけれど直せなかった。どうしても書きにくいのだ。大人になって同じ様に個性的な持ち方の友人に出会った時「子供の頃注意されたことある?」と聞くと「あるある、育ちが良くない云々(きちんとしたしつけがなっていない)と思われるんだよとか、でも直せない。これがどうしても書きやすいもん」と聞いて大人の見解は一緒なんだと思った覚えがある。母親には「どうやっても直らんのならもう仕方ない。どう握るかよりあんたの思う様に書ければいい」と言われた。それが私には答えだった。
私の了見が狭いのはもう百も承知だが、やはり気になって口に出していた。「さっき、私の鉛筆の握り方を見て鼻で笑いましたよね?」青年は大きなマスクで半分顔が見えない。目だけを見開いて沈黙していた。「さっきからその気怠い対応は私の...無知により時間を割いてしまうのは申し訳ないですが、鉛筆の握り方に関しては笑うところじゃないと思います」「は?...あぁ...いや...」「しっかり聞こえたのに?」「はぁ......」その後、青年は大きな音を立ててファイルを閉じたり、語気が強くなり、徐々に苛立ちを現し、結果、最悪な時間になってしまった。
税務署を出て帰路につく途中、おさまらない怒りの矛先を何処に向けていいものか解らず悲しくなっていた。青年は私の鉛筆の握り方で私という人間を測ったのだと思った。正直、こちらが感じた青年の纏う空気も気持ちのいいものではなかったので、どう思われようが関係ないと思うのに、こんな所で世の中の視線の厳しさを感じている自分に情けなくなり、ちょっと泣いた。
私はとてもしつこい性格なので、その後、あの青年がこれからどんな風に人間と向き合い年老いていくかを勝手に想像してみた。私の人生で二度と交わることのない場所に居る姿しか浮かばなかった。



近所に時計と眼鏡を売る個人商店がある。
ウィンドウ越し、ずっと買い手のつかない目覚まし時計が日に焼けて色落ちしている。なんとなし、立ち止まって下の棚の方までじっくりと見ていたら「あっ!」と声が漏れた。私が小学校3年生まで使っていた目覚まし時計を見つけたのだ。私は店の中に入り、「すいません、あの目覚まし時計ちょっと触らせてもらっても構いませんか?」と店主に尋ねると「どうぞどうぞ」と快く承諾してくれた。背中にある黒いツマミを回し長針に目覚ましの目安針を合わせる。「パッパパ〜!(ラッパの音)ヤッホー!朝ですよぉ起きてください!パッパパ〜!...」それを聞いた途端、ちょっとだけ9歳だった時分に過ごしていた部屋がありありとフラッシュバックした。購入しようか一瞬迷ったけれど、懐かしさで購入するより今こうしてここで一度だけ聴けたことで満足してしまった。思い出すことなど必要のない在りし日の風景の中に、数秒間だけ佇むことが出来たことの幸せ、その幸せがものの数秒で消えてしまう寂しさ。数日後店の前を通るとその目覚まし時計はなくなっていた。







posted by 見汐麻衣 at 22:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月31日

2020年8月30日(日)「匂い」


25日(火)@渋谷7thFloorでのライブにご来場頂いた皆様、配信をご覧頂いた方々、改めてありがとうございました。
後日、自分でもライブを見直してみて「あぁ...もっとこうしたかったああしたかった」と思う事ばかりが目につくも、人様の前でうたい、演奏できる事がとても嬉しかったですし、楽しかったです。

7thFloorのご好意により、9月1日(火)までアーカイブ映像がご覧頂けるそうです。
こちら→http://7thfloor.official.ec/items/32499161 (ご購入後、配信URLのアドレスをダウンロード出来ます)


さて、今年は残り4ヶ月。本来なら10月の開催に向け、今年の頭から準備しようとしていた自分史上、気概のいる企画もコロナにより流れてしまい、空気の抜けかけたビーチボールの様になっておりましたが、元来適当な性格なので次またやればよしと思い改め今やるべきことだけに目を向けております。開催したあかつきには是非、ご来場頂きたい。ぎゃんばります。





昼。
駅のホームに向かうと力士が居た。私は相撲に疎いので番付の地位がよく解っていないけれど、街中で相撲取りと遭遇すると高揚するのはなんだろう。嬉しくなってしまう。力士の後ろを通り過ぎた時、鬢付け油の甘い匂いがしてつい、マスクを取り鼻孔を目一杯広げて空気を吸った。この暑い盛りに鬢付け油の匂いはこう...グッとくる。夏の色んなものと混じりあって、セクシーな匂いがする。いや、言ったそばからどういうことだ?と思うけれど......爽やかな淫美さを感じます。



匂いで思い出した事がある。2004年の半年程、姫路に住んでいた。冬になると駅構内にある駅そばをほぼ毎日食べていた。姫路の駅そばは「蕎麦」ではなく、かんすいの入った中華麺で和風だし。当時300円くらいだったと思う。当時梅田にある映画館に勤めており、片道1時間弱はかかっていた。冬の早朝など電車を待つ間に一杯ズルッと食べて、身体を暖め、夜、クタクタに疲れて駅に着くとこれまた一杯ズルッと食べて帰路につく。おいなりさんもあったはず。深夜、家でも食べたくなるのでお持ち帰りもしていた。スープの奥に感じる少しだけ甘い匂いと、麺を啜った時に鼻から抜ける揚げとネギの匂いが何よりも幸せで労いだった。姫路にいい思い出はあまりないのだけれど、(姫路は何も悪くない。私と街との相性が良くなかったんだと思う)駅そばとJean Jean(ジァンジァン)のカレー(ロケットSON氏に連れて行ってもらった。いい思い出です)と、ホルモン 竜(姫路に来てすぐ、シュン...としていた時分、ゑでぃまぁこんのお二人がとても良くしてくれて連れて行ってくれました。愛しています) 、名前を失念したけれどアーケードの中にあったジャズのかかる中華屋。食べ物の思い出は山の様にあるのが姫路。あと、マッシュルーム(ライブハウス)。
冬になると真っ先に思い出すのは駅そばのあの出汁の匂い。東京に越してから、ゑでぃまぁこんのゑでぃさんに「ミシオさんこれぇ、好きやんなぁ?」と言って姫路駅そばのカップ麺をお土産に頂いたことがあった。私は狂喜乱舞し帰宅後すぐに食べたのだが、なんだか少し味が違う。いや、同じといえば同じだが、あの駅ホームの乱雑な場所に立ったまま、黒い椀でズルズルとやるあの駅そばがやはりいいのだと、少し寂しくなった。冬の匂いと交わってあの場所で嗅ぐ出汁。どうしよう、お腹が減ってきた......。駅そばが今、食べたい。
posted by 見汐麻衣 at 00:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする